FOR YOURSELF & YOUR FUTURE

日々のちょっとしたこと心のお話

おもいだしたこと

小さい時のことを思い出した

 

「指と指の間もきちんと洗うんだよ」と教えてくれたのは叔母だった

 

校則で禁止のボタンダウンのシャツを着て

注意を受けた私を叱咤した先生は

「お母さんが‥って、いつまで人のせいにしてるんや!」

 

スーパーでそっとポケットにいれた消しゴム

がま口から30円とりだし、買ったアイス

ほぼ毎日とってはアイスを買っていた

アイスは隠さず食べていた

小銭どころか

数枚取っても何も言われない

模試を受けに遠くの街に行く時は

必ず数枚抜き取って

好きなブランドの服を買った

誰も何も言わない

洗濯に出しても何も言われない

欲しくて買ったはずなのに

すぐに返品や交換したくなり

しまいには捨てた

大学ではカードを渡された

欲しいものはなんでも買った

ひとつだけに決められず

色違いで買った

それでもなりたい自分にはなれない感じがして

服を買い漁った

この服をきた自分を想像して

高揚したままレジに向かう

服を着てまわりにいる人と自分を

想像しながら店を出て

家に帰る頃には

服への思いは萎んでいく

新しく身につけても

ぬぐいくれない、しみついた自分が

そこにいる

 

この子達と自分は何が違うのか

楽しそうで

爛漫で

明るくて

話上手で

 

帰る家があった

 

寮住まいの自分は

なんでも自分でやらなきゃいけなかった

何を選んで

何を着て

何を食べて

 

自分の時間を

自分で決めていく

 

自分でやらなきゃいけないじゃなく

自分でやる自由があったのに

 

誰かに頼りたかった

いいねが欲しかった

たまには

それってどうなね?とか

どっちにするか

ゆっくり

考えようちとか

ちょっとした

ささやきのような会話を

求めていた

 

いいね

ほんとに私のことを

考えてくれてるいいねを

求めていた

 

店の人は

売ってなんぼだから

いいねを乱発する

 

それすらも

欠乏していた私には

媚薬だった

 

それは

麻薬のように

時間がたてば

薬はきかなくなり

 

またいいねをもらいに

店にいく

 

ほんとに欲しかったいいねは

なんだったんだろう

 

私は、私のままでも大丈夫という感覚

 

どんな私もオッケーという感覚

 

飾る必要がどこにある?

何をペタペタ貼り付ける必要がある?

何を隠す必要がある?

 

私のままでいるといてもたっても

いられなくなる感覚って

どんなだったのか

 

 

 

 

 

 

映画「ロンドン 人生はじめます」

こんにちは

KOKKOです

冬到来ですね

 

鍋のおいしい季節

ミツカンさんから出ている

鍋シリーズが気に入っています

しめを何にするか

楽しみです

 

コロナの影響か

家族で一緒のご飯は週に1度だったのが

毎日になりました

最初は一日中台所にいる気がして

手伝ってよ~が強めでしたが

最近は自然と手の空いている人がやりつつあります

 

さて今日の映画は

ダイアンキートン主演の

ロンドン、人生はじめます

 

私自身も50代

色々生きていればありますよね

 

  • 子供たちも巣立ち再び二人になる生活
  • 自分の体の事
  • 親の事
  • ご近所付き合い

 

 

さしせまって困っているわけではない

 

でもあきらかに

  • 袋小路だ
  • 迷っている
  • 行き詰っている
  • 自分の気持ちにうそをついている
  • でもいい人で
  • 害のない人で

 

主人公の未亡人であるエミリーもそんな一人だった

  • 瀟洒なマンションでの生活
  • 友達もいる
  • ボランティアもしている
  • 息子も自立した

でも

遺された借金や浮気があったことなど

頭を悩ますこともある

 

だけど

一番に悩ますのは

自分自身なのだ

自分のことを持て余している

なぜなら向き合ったことがなかったから

 

ちょっと風変わりではあるけど

回りからホームレスと疎まれるドナルド

彼との出会いの中で

エミリーの中で動き始める

 

誰かを助けることができる

自分の世界がいかに限られた世界であること

自分の考えがいかに狭められているか

 

すべて

自分の選んできたこと

 

だとしたら

彼女は自分で変化を起こすことができることを実感していきます

 

私たちも同じだと思うのです

 

戦後生まれの両親に育てられ

理不尽な思いをしながら

不平等を感じながらも

生きてきたわけですが

 

自分を抑え込むことで

現実の家族のバランスをとることができた

 

でもその中には家族一人一人の鬱屈したものが閉じ込められ

それが

一番弱い存在である

子供に症状として

 

そこでやっと私たちは

問題があることから目を背けられないところにくるのです

 

 

そこで

これらが

子供の問題として

セッションに来られる方がほとんどです

 

ですが

本当の問題は

私たち自身なのです

向き合うべきものに向き合わずににきた代償であることを

セッションの中で

愕然とします

 

自分自身が

親との間の確執を

押し殺して生きてきた

憎しみや怒りをパートナーや子供に被せてしまっていることに気づきます

 

ただ

押し殺してこなければ

私たち自身が

幼少時生き続けることができなかったことがしっかりふに落ちていきます

 

そうせざるを得なかったことをしっかり受け入れます

私たちはそれをしてこなかったから

漏れ出した悲しみが怒りや苦しみとなって私たちが大人になっても苦しめるのです

 

だとしたら

してこなかったこと

いままで口にしなかったこと

今まで考えないようにしてきたこと

今まで行動に移すことをしなかったこと

 

それらを

自分の意志で

どうしていくか

考えるときだということです

 

頭ではわかっていても

体が動かないということもあります

 

 

日々の生活の中で起こる

出来事

家族間の問題

ご近所との問題

子供との意見の食い違いなども

 

何に自分は反応しているのか

自分はそのことをどうしたいと思っているのか

思い通りにできなかったとしたら

自分はどのように感じてしまうのか

自分の中でそのことがどのようになれば解決と思えるのか

そのために自分は何ができるか

 

自分に

自分に

フォーカスしていってください

このように考えることで

全体像がみえてきたりします

 

今まで身に着けた癖は変えることができます

 

とはいうものの

私自身も最初のころは

問題の矛先は他人にいきがちでした

 

心理を学び

レーニングを受けていく中で

自分の癖に気づき

少しづつ

少しづつ

自分で考え

自分で決め

自分で行動していけるようになりました

 

私たちセラピストはクライアントの問題解決をするのではありません

解決をするのは解決しようとするご本人です

その時に寄り添いご本にが未来に向けて歩みだすお手伝いをするのが私たちセラピストの役割だと思っています

 

リトリーブ

自分を取り戻すという意味があります

 

私たちは一人でも多くの人が

自分の人生を生きやすく

自分の人生を過ごしていってほしいと切に願っています

 

#リトリーブサイコセラピー

 

 

 

 

 

 

 

Fathers and daughters パパが遺した物語

こんにちは

通天閣が赤く灯った大阪からKOKKOです

コロナ自粛

誰もがマスクなしでお話できる日が

早く来るといいなと思います

 

さて

今日の映画は

Fathers and daughters

パパが遺した物語

 

遺した…

自分を愛情で包んでくれる

ママとパパ

事故でママを失くし

ママが亡くなった後

全身全霊で愛情を注いでくれたパパまで

事故の後遺症で失くしてしまいます

娘は成長しソーシャルカウンセラーとして

問題を抱えた子供たちの寄り添っています

そんな彼女も

心の中のぽっかり空いた乾きのようなもの

その渇きを癒すように

夜な夜な行きずりに男たちと体を合わせていきます

 

心から愛したい人と出会い

距離が近づいていく

「怖いの」……

彼女の中で

愛することへの恐怖

愛する人を失う恐怖

愛することへの渇き

それらが交錯していきます

 

人間の根源的な欲求

人を求めていく

愛していく

その力の大きさに彼女は圧倒され

 

愛し信じている彼を裏切る行為

涙を流しながら再び行きずりの男と

 

その涙を流すシーンは

自分自身をここまで

愛というものから遠ざけていくのか

そう感じるシーンでした

 

愛を信じられない

人を信じられない

幸せなはずなのに幸せを感じられない

人と近づくと逃げ出したくなる感覚

人と深い関係を築けない

 

もし自分の中に

そんなものを感じ

生きづらさをかかえている

 

これからの人生をどう生きていきたいか

そう考える人は多いのではないでしょうか

 

心の問題は

関係性が近いほど

起こることがあります

 

家族間

夫婦間

親子間

 

大切な人とどう生きていきたいか

子育てに没頭しているときは感じられないものが

子供たちが巣立とうとし

夫婦と向き合った時

 

残りの人生をどう生きていくのか

 

そんなことを考えるとき

自分の中の苦しさ

 

立ち止まってその苦しさは何なのか

寄り添ってみませんか

 

#リトリーブサイコセラピー

 

 

あなたが成長するなんて許さない

大阪からこんにちは

心理セラピストのkokkoです

 

阪急電車から見える山々が

色づいてきていました

週末は紅葉狩りにでも

そんな今日です。

 

さてさて

今日は共依存

映画「マザー」

 

Netflixで配信中です。

ご覧になられましたか?

 

母と息子の共依存を描く残酷な映画の終わりに

驚愕です

これは事実に基づいた映画です

 

母に言われるがままに生きることでしか生きることを許されない息子

自分の体内から生まれ落ちた子供を

自分の思う通りにしていいのだと思う母

 

映画のように

母の道具のように扱われても

それが母だからと

その歪んだつながりでも

そのつながりしか知らない子供にとっては

つながりなのだと

 

親子の在り方を考えさせられる映画でした

 

 

さてさて

映画のようにまで行かなくても

実はちまたに共依存はあふれているのでは

 

 

赤子と母親との関係は

共依存の関係性を帯びていませんか

 

赤子は母親からの愛情や温かさがなければ餓死していきます。母親でない場合も愛情や温かさがなければ同じです。

母親やまわりの保護者は赤子の柔らかさや

そのはかなさに触れることで自分の喜びと感じていきます

 

ただ子供は成長していきます

子供は湧き上がる欲求に外へと歩み出します

 

そんな時

親はどう感じるでしょうか

 

そこに分岐点がある気がします。

 

母親自身が安心感や愛情をしっかり感じていれば、子供が外の世界に歩み出すことは見守ることができるのですが、

 

母親自身が心の中に

自分は人に受け入れてもらえない存在だ

 

そんな感じ方を持っていると

外に出ていく子供を阻止したくなるのです

子供が人から傷つけられないようにではなく

子供に自分自身をかぶせ

私はそもそも人からうけいれてもらえない

その悲しみを再体験してしまったら

もう立ち上がれなくなるほどと

感じていることがよくある事例です。

 

私はもう傷つきたくない

 

私の虚構の世界の中に必死に生きているわけです。

 

息子が外の世界に行ってしまったら

わたしは一人

わたしを守ってくれる人がいなくなる

わたしにはあなたしかいないのといいながら

守ってくれる存在なら誰でもいいのでは

 

 

 

母親というものを利用して

子供の首を締めている

それがあなたが描く親子なんでしょうか

この事実

 

心当たりはないでしょうか

 

多少に関わらず

共依存の関係性は

悪い結末にしかならない

 

そのことを心に染み込ませなければなりません

 

もし心当たりがあるのなら

今すぐこの関係性を断ち切る覚悟をしましょう

 

断ち切ってしまったら

 

不安を感じてしまいますか?

 

不安があったからこそ、今までこの関係性にしがみつかなければならなかったんです。

 

不安の正体をしること。そこを丁寧に読み解いていく作業をすることです

 

 

 

それが次の作業です。

 

あなた自身

子供も

破滅の人生を迎えてしまう前に

 

どうしようもなくなった時は

私たち心理セラピストは訓練を受けて

からみあった糸をほぐすように

問題解決へと一緒に伴走していきます

心の中の不安を言葉にしていくこと

それが大切です。

 

#リトリーブサイコセラピー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二次利得と葛藤

大阪の街からこんばんは

大阪でリトリーブサイコセラピーという心理療法を使って

心理問題の解決をサポートしていますKOKKOです

 

乾燥してきましたね

お肌も乾きがち

喉も乾きがちですね

うるおい

気をつけたいですね

 

明日は眼科へドライアイの目薬をもらいに行こうと思っています

 

私も50の大台を突き抜けましてから

何かと手をかけないといけないことが増えてきました

自分のことにですよ!!

自分のこと二の次にしてきたら大変

子供や周りの人に結局お世話かけてしまったら本末転倒ですからね

 

さてさて

今日はそんな子育てやお仕事突っ走て来たけど

はっと気づいたら50を超えてた

 

ため息がでちゃうあなた

 

もっと楽しみたいな

これから自分の人生楽しみたいな

だけど何をしていいのか

忙しかった時はあれもしたいこれもしたいと思っていたのに

時間ができたとたん何をしていいのかわからない

きらきらしている友人たちがうらやましい

一歩が出ない

考えてばかりで何も手につかない

私って取り柄がないわ

私ってだめね

 

あらららら

 

そんな自己否定にまでなってしまっては

 

50まで頑張ってこられた皆さんに(自分にもですが)

まず

よくここまで頑張ってこられましたね

そうお伝えしたいです

 

かくいう私も今まで自分を自己否定して悲劇のヒロインになったり

自分で自分をどんどん貶めていました

 

 

自分を貶めている

 

これってホントに悲しいことなんですが

 

ここには心理的なからくりがありまして

 

自分で自分を貶める

苦しいのにやってしまう

 

これは媚薬のように

やめたくてもやめられない甘い蜜なんです

 

なぜなら自己否定していたら

私はダメ→あの人にアドバイスをもらおう→自分で考えず他人に依存できる

私はダメ→私の考えはバカげてる→意見を言わないでおこう→矢面に立たなくていい

 

自分で考えなくてよくて、矢面に立たず責められることもない

 

こんないいことはありませんね

 

自分で考えて意見したり行動したら失敗することももちろんあります

そうすると他人が意見することも、また責任を負わなければならないことも

 

ここ!非常に大事なところです!赤線ひいといてください

 

人は快を求めます

人は基本変化を嫌がります

 

だけどですね!ここで同年代の方々にお伝えしたいのは

 

この先どうなるかを想像してほしいのです

あと元気で20年生きていくとします

今のまま

私はダメと自分を押し殺して意見を言わずじっと我慢して

世間体を気にして生きていくのか

 

自分の意見をきちんと考えて伝えていく

行動していく

間違ったとおもったら修正していけばいい

もしかして失敗して恥ずかしい思いをするかもしれない

もしかして失敗して責められるかもしれない

失敗や間違いをちゃんと受け止めてまた修正していけばいい

そうやって自分の人生生きていくんじゃないかと思うのです

 

小さい時の感覚

失敗したり

間違ったりした時の恐怖がよみがえってくるのかもしれませんね

 

だけどきちんとその怖さを心理セラピーで取り扱ってもらい

怖さを再体験し感じきることができたら

そこであなたはちゃんと生きている今を感じることができると思います

 

諦めないで

前を向いて生きていってほしいと思います

いままでたくさんがんばってきたあなただから

 

もし立ち止まって動けない

進みたいのに進めない

今のままでなぜかざわざわする

 

そんな時は心を許せる友人に話してみてください

そこまで友人に話せないという場合は私たちのような心理セラピストを頼ってみてください

 

応援しています

フレーフレーがんばろう

一緒にこれからの人生自分で歩いていきましょう

 

いずれにせよ

もしあなたが今までの役割を終え

これからの人生を考えた時

なぜあなたの思う方向に進めないのか

なぜ一歩が出ないのか

そもそもなぜあなたはその方向を選んだのか

その方向に行けば何が得られると感じているのか

今行動を起こさずそこに居続けていると何を感じてしまうのか

今行動を起こさないでじっとしていることでなにから逃げられるのか

 

以上の事を自分に質問してみてみては

つい口にだしてしまう すごいね!の意味とは

こんにちは

雨の大阪から

心理セラピストのkokkoです。

ご無沙汰でした

パタパタと日々はあっという間に過ぎていくものですね

その中でも少しの時間

体も心もゆっくりできたらいいですね

 

先日は思い立って何をしたかといいますと

アカスリに行ってまいりました

コロナ自粛ムードでなかなか行けずにいました

ので、それはそれは、なんとも形容しがたいですが、、、、

すっきりしてまいりました。

 

そんなこんな

体はすっきりですが

 

ここからは

こころのすっきりにつながればいいなあと

 

今日は

「すごいね」と題しまして

 

日々の会話の中で

「すごいね!」

「すご〜い!」

「すごいですね!」

口癖になってませんか?

 

 

相手のがんばってきたプロセスを知っているからこそ、そのがんばりに「やったね」

「がんばってきてよかったね」

そんな言葉がけは嬉しいものですが

 

相手のそこまでのプロセスもあまり知らないのに、ただ結果だけを見聞きして

「すごいね」

 

この一言に含まれる意味

 

今日は人をあげながら、実は人を見下げていることがあります。

そんな自分がいるとしたら

なんかいやな感じしませんか?

その心理について

そういうことがあるのか〜と

ヒントになれば幸いです

 

あなたは、こんな経験有りません?

バリバリ働くあの人をみて

「あの人すごいなあ」

お料理を全部おしゃれに手作りしてる人を見て

「すごいなあ」

素直で勉強もできる子供をみて

「すごいなあ」

起業してテレビに出ている人を見て

「すごいなあ」

年齢を重ねてもいつまでも美しい人を見て

「すごいなあ」

インスタにアップされるものを見ては

「すごいなあ」

 

すごいなあ祭りです

 

何かわさわさ

心は穏やかではありませんね

すごいね!と言いつつ

 

この隠された問題は

すごいね!と言いつつ

心の中には

いいわよね 恵まれてて

 

そこには

すごいね!=賞賛ではなく

すごいね!=私は持ってない

 

そうなんです

私にはない!祭りなんです

 

私は恵まれてない

私はそんな能力もない

私はそんな魅力もない

 

そうなると

何か自分でやってみたいなと思っても

私には無理 失敗して笑われるだけ

笑われるくらいなら、やらない方がいい

 

この人と知り合いになりたいなと思っても

私なんて相手にされない

近づいたら迷惑

拒絶されるて傷つくなら、近づかない方がいい

 

さあさあ

心の中ではどんどん自分劇場が進んでいきます

 

ここには

心のフィルターが関係しています

人は私を嫌い

人は私を認めない

人は私を拒絶する

 

このフィルターがあることで

本当に拒絶された時に感じる恐ろしさを

避けて生きてこれたからです。

 

本当に拒絶された時に感じる恐ろしさ?

 

これは

私たちが幼少期どのように育てられてきたかと

いうことに関係してきます

 

親が養育に興味がなく育児放棄していた

親が親自身の心理問題を抱えていた

親が不仲だった

親が仕事で多忙、親子の関わりが少なかった

家庭が不和で会話がなかった

祖父母の権力が強く親自身も萎縮していた

 

このような家庭で

赤ちゃんはこの世に生まれてくる時

どんなことができると思いますか?

 

自分で生きていく術として何を携えていると

思いますか?

 

声ですね

あーうー

オギャーオギャー

 

声で周りの人に助けを求めます

 

お腹すいたよ

喉乾いたよ

寒いよ あたためて

暑いよ 背中が暑いよ

お尻が気持ち悪いよ

寂しいよ そばにきて

 

そんな時

泣いても泣いても

誰もきてくれないという感覚

 

求めても求めても誰もきてくれない

 

子供は成長の中で

生きていくために術として

人の気を引こうとニコニコすることや

親の機嫌をとろうとしたり

 

なかにはわざと嫌がることをして

大人の気をひこうとしたり

 

どちらにしても

自分はありのままでは生きていけない存在なんだという感覚がプログラミングされてしまうこともあるのです

 

そうなると、その感覚が大人になっても体に残りつづけることがあります

 

このまま

すごいなあ!と人を羨んだり

人が上で自分は下だと自己卑下を続けていく

人生をどう感じますか?

 

私は私なのに

私は、、、、、、

私って一体、、、、

人の人生を羨んでるだけの人生なんて嫌だ

 

そんな気持ちが湧いてくるかもしれません

 

だけど

今まで自分はありのままでは生きてはいられない感覚を持って生きてきた人が

いきなり

私の人生を生きるんだ!となっても

 

私の人生?

私の生きたい道?

私の?

 

行き詰まっても仕方がないと思います

 

自分の欲求を共感してもらう経験を重ねて

あ〜自分の欲求を出していいんだ

あ〜こうやって人に伝わるんだ

あ〜時には欲求が叶えられない時もあるけど

想いは受け取ってもらえるんだ

 

この経験が人が人として生きていく中で

一番大切な愛着と言われるところです

 

幼少期に築くことはできなかった愛着を

まず自分の中に育て直しいくことがまず大切です。

 

欲求を出してもいいんだ

出しても自分の安全は守られるんだ

安心していいんだ

 

これらの感覚をじっくり

体に覚えさせていくためには

 

信頼できる人

信頼できる友達

悲しかった出来事を話してみましょう

あんなこともあったと

 

 

なかなかそこまで話せる人はいないという場合は信頼できる心理セラピストにたよってみるのもいいことです。

 

プログラミングされたものなら

プログラミングし直すことも可能なんです

 

自分の人生を積み上げていくか

今のままの人生を続けていくか

 

私たちは自分で選ぶことができる

それを忘れないでくださいね

 

少しでも

なんとなくでも

心の曇りが晴れたのなら

幸いです

 

また一緒に

お話しできたらと思います。

 

それでは

楽しい週末をお過ごしください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

内に向ける作業

めっきり気温も下がり過ごしやすくなってきましたね

食の秋

美味しいものなど

楽しみです

 

さてさて

本日は

韓国ドラマskyCASLE

こちらご覧になられていますか?

過酷な受験戦争を繰り広げる韓国

何としてもわが子を医大合格へと

手段を択ばないリッチピープルの知られざる心の中

大人たちの欲望に翻弄される子供たちの生き苦しさなど

見ていてハラハラのドラマです

 

このドラマには

それぞれの役柄を見ていると

人生脚本

愛着

罪悪感

侮蔑

人間の隠したいものすべてが

炙りだされる人間ドラマです

 

アル中の父親にさんざんな思いをさせられた生い立ちを持つ母親

医師三代に固執する母親に支配された生い立ちの父親

侮辱された経験から人の上に立つことで自分を保とうとする父親

子供の為に自分のすべての夢をあきらめた母親

 

その中で苦しむのはいつも子供たち

 

親の欲望を満たすための道具と化す

 

親世代も自分が傷ついていることに

気づかないのか、

気づいているのに、気づかないふりをしているのか

 

人生脚本

 

私たちは

自分を苦しめた親によく似たタイプの人を

前にすると

傷がうずいてしまうのです

 

同じ人を前にしても

Aさんは別になにも感じなくても

Bさんはなぜかざわつく

 

これはBさんの中で何かが起こっている証拠ですね

 

同じリンゴを前にしても

Aさんはおいしそうと

Bさんは以前まずいリンゴをくちにしたこともあり

ほんとに美味しいのかしらと疑ったり

 

すべて私たちの中で問題を起こしているのがわかりますね

 

この時に問題が起こっていないのに

経験見たこと聞いたこと感じたこと五感を通じての経験は筋肉に残っていて

 

同じようなシチュエーションになるとザワザワが湧きあがるのです

 

これは意識下で起こるものではなく無意識化で起こるものなので

意識してどうにかなるものではないから

私たちは違和感、嫌な感覚を持ってしまいます

 

嫌な感覚だけではありませんよ

もちろん

いい感覚もちゃんと筋肉には残っていますよ

ふんわりしたものに触れるとなんだか懐かしい気持ちになるのも

誰かに守られている感覚に似ていたり

 

体の感覚というのは正直ですね

 

だからもし

自分が何かざわついて困っていたり

自分が何かに足止めされている感覚があったりするのなら

 

それは一体何なんだろうと

自分の内側に意識を向けてみるということはとても大事です

 

例えば支配的な人を前にすると、反抗的な気持ちが湧きあがってきて

困るとします

 

その気持ちが湧きあがると何が困るの?

そんな気持ちを持っている自分を自分でどう感じているの?

 

おそらく

想像するとしたら

幼少期に支配的な人がいて

何も意見を言わせてもらえなかった

言われるとおりにするしかなかった

はむかってしまったらご飯をもらえなかった

殴られた

無視され続けた

 

相当の怒りを抑え込んでいるのでしょう

その怒りをコントロールすることができなくなる自分が

怖い

支配的な相手に今にも狂気をぶつけてしまいそうで

自分を見失ってしまいそうで怖い

 

そんな怒りを感じます

 

大切なことは

怒りを抑え込むのではなく

ぶちまけてしまいなさい

そんなことではありません

 

その怒りを昇華させるためには

その感覚をきちんと感じきることが大切です

 

といっても

相手にそれをぶつけることではありません

なぜならあなたのぶつけたい怒りの矛先は目の前にいる人ではないはずです

 

目の前の人ですか?

 

違いますよね

 

あなたの気持ちを受け止めてくれなった人は誰ですか

あなたはどんな気持ちをうけとめてほしかったのでしょうか

あなたは受け止めてもらえずどんな気持ちだったのでしょうか

 

あなたの内側に意識を向けて聞いてみてください

 

支配下にはいってしまいがちな人は

自分の意見を言ったりせず

出しゃばったりすることはないでしょう

 

まわりからは

おとなしい人

いつも控えめで

ニコニコ笑って

 

誰もあなたを糾弾する人はいないでしょう

誰もあなたを責めたりしないでしょう

 

自分の気持ちを分かってほしい

そんな気持ちは抑え込まれていますよね

 

まわりから責められない代わりに

自分の気持ちは一切出さない

 

これは

自分で自分を大切にしていない状態ではないでしょうか

 

大切にされたい

尊重されたい

そんな気持ちでいっぱいなのに

 

あなた自身も自分を大切にしていない

この事実にきちんと向き合ってください

 

自分を大切できない人が他の人を大切にすることができるでしょうか

 

お互いが大切にしあう尊重しあわずに、親しい関係性を持つことは可能なのでしょうか

 

幼少期に自分を大切にしてもらえなかった

悲しい事実があるかもしれません

 

でも

だからといって

あなた自身が自分を大切にしない

あなた自身が自分の声に耳をかたむけないで

いいのでしょうか

 

自分を大切にするにはどうしたらいいか

それは自分の声に、自分の内側に意識を向けてみるというのも一つではないでしょうか

 

ぜひあなたの内なる声に耳を傾けてみて下さいね

 

どうしても苦しくなったり

自分ではどうしようもなくなったら

信頼している友達に話をきいてもらったり

 

プロのセラピストと対話を通じて

あなたの内側に意識を向けるようにしてみるのも一つです

訓練を受けたセラピストの質問に答えていくことは

あなたの内側にアプローチしていくことにつながるのです

その紡ぎだされる言葉は本当のあなたの言葉なのです

 

自分を知ることは決して怖いことではありません

自分らしく生きていくことなのです

 

あなたらしくあなたの人生を生きてほしい

ただその気持ちだけです

 

それではまた