FOR YOURSELF & YOUR FUTURE

日々のちょっとしたこと心のお話

ダブルバインドの渦

雨の土曜日

こんにちはKOKKOです

リトリーブサイコセラピーという心理療法を使ってお困りごとの解決への伴走者として

日々頑張っております

 

今日もリトリーブサイコセラピー協会の

自主勉強会がありました

聴講生やセラピスト同士で

どうしたら

心の問題解決につながるのかなど

研究

それぞれがそれぞれの学びに気づける場となっているなと

 

さて今日はダブルバインドの渦と題しまして

ダブルバインドについて

 

なかなか難しいお話なのですが

あるクライアントさんのお話をしながら

 

 

ダブルバインドの渦

雨の土曜日

こんにちはKOKKOです

リトリーブサイコセラピーという心理療法を使ってお困りごとの解決への伴走者として

日々頑張っております

 

今日もリトリーブサイコセラピー協会の

自主勉強会がありました

聴講生やセラピスト同士で

どうしたら

心の問題解決につながるのかなど

研究

それぞれがそれぞれの学びに気づける場となっているなと

 

さて今日はダブルバインドの渦と題しまして

ダブルバインドについて

 

なかなか難しいお話なのですが

あるクライアントさんのお話をしながら

 

 お悩みに挟まれにっちもさっちもいかない状況で身動きできないといった感じですね

 

人と関わると人は自分のことを否定するという前提を持っているとします

 

すると否定されないように人を避けるようになります

人を避けていれば 自分が保てる感覚が得られる 邪魔されない感覚

人を避けていれば もう否定されない

人を避けていれば 傷つくこともない

 

でも一人でなんでもやっていけるということは

一人でなんでもやり遂げないといけない

だけど自分のやっていることに自信がそもそもないので

本当に大丈夫か確認したくなるんですね

すると

 

てくてくてく

人に近づいて

ねぇねぇ 私大丈夫かしら ちゃんとできてるかしら

 

すると

はぁ 何寝ぼけたこと言ってるの

こんなのでいいと思ってるの

ばばばばばばばばばばば 機関銃のように

 

あぁぁぁそこも そこも 悪いんですね 間違ってるんですね

あぁ もうこれ以上非難されないようにしなくちゃ

もう呆れられちゃったら ここに居づらくなってしまう

非難されないように非難されないように

間違わないように 失敗しないように

 

そんなことに全神経をすり減らしながら取り組んでも

それは自己否定をなんとか潰そうとするだけ、やってもやっても自分の喜びにはつながりません

自分自身はどこへ行ってしまったの、私は何も良いところはないの、私ってそれっぽっちの人間なのね

 

こんな非難されるばかりの関係はもう嫌!と

また人を回避することに戻っていきます

 

そしてまた自分のやっていることに自信がなくなり

人を求め

また

傷つきと

 

このループの渦にはまって身動きができない状況なのです。

 

このダブルバインドの渦から出るためには

ではどうしたらいいのでしょうか

 

まず

回避していることのメリットデメリット

人を飲み込むことでのメリットデメリットをしっかり出してみましょう

 

自分が保てるが孤独

かりそめの居場所は得られるが、ゆくゆくは孤独になっていく

 

この状況がわかってくるかと思います

 

ではこの状況を見て

自分がダブルバインドの問題を持っているなとかんじたら

どうしていきたいかということをしっかり見据えてほしいのです

 

この状況でいいですか?

あなたの人生ですよ

 

あなたが決めていいのですよ

 

自分が選んで決めて進む

 

これが自分の人生を作っていくということです

 

その途中でどうしても進めない怖さが出てきたら

どうぞ専門家の手助けを借りてどこでどう自分は止まっているのか

自分はどこをどのように感じていて進めないと感じているのか

どうとらえられたら自分は進めるかなどを

一緒に考えていきましょう

 

それではまた 

避けては通れない…葛藤

大阪からKOKKOです

雨が続いていますね

被災地の方々が少しでも安心して眠れる夜が早く来ることを祈っています

 

 

今日お話しするのは

友人のHさん

いつも朗らかで元気なイメージ

最近しばらくぶりに会うと

ずいぶん老け込んだような

まだまだ50

老け込むには早すぎる気がしますが

 

以前からHさんは「どうしてそんな風に考えるんだろう」と

少し気になってはいましたが

普通に暮らしていけるお宅なのに

「仕事をしなくちゃ」

「こんなままじゃいけない」

「なんか始めたいの」

「今勉強に行ってるの」と

 

Hさんは頑張り屋さんだなというのが印象でしたが

 

どこか一貫性がないというのも気づいていました

 

読んでいただいてる方々の中にも👆Hさんのように

いつも自分を駆り立てている感覚ないですか

 

Hさんはとても社交的でお話もしやすく

家族のことをとても大切にされてて

前向きで

 

でもなぜか

生き急いでいるような

 

じっくり話を聞いてみたんです

 

「とんでもない」

「私なんて何って取り柄がないのよ」

「いつも必死でフラフラ疲れ切ってる」

「何が楽しいかなんてわからない」

「一日一日過ごすのがやっと」

 

「Hさんが楽しいことって何?」と尋ねると

突然涙が😢

 

「心配することなんてないのに

なぜか目の前のことが素通りしていく感じで」

 

「目の前の事って言うのは、あぁ楽しいな あぁ嬉しいな そういうことが

素通りしていく感じ 嬉しいことなんだろうな 愉しいことなんだろうな

みたいに他人事のような感じ 自分のものじゃない感じで」

 

「幸せになりたいし うれしい 愉しい それを感じたいし

探しに行こうと ないから手に入れに行こうとしてしまうの」

 

「資格とか 自己啓発とか そういうところで どんどん頑張ってる人とか見て

あぁ 自分てこの人たちに比べて ダメだ 劣ってる って どんどん

どんどん 下に落ちていく感じ」

 

「何やってんだろう私・・・・」と

 

「Hさんはどんなふうになりたいの?」と聞くと

 

「・・・・・・・・・・私・・・・なりたいってものはないのかも」

 

「今も逃げてる リアルから。リアルって言うのは足りてる生活から」

 

「ささやかだけど 家も 華族も 友人も いる。

パートだけど楽しく働ける仕事もある。

頑張ってローンももうすぐ終わる、三人の子育ても先があともう少し

たまに夫婦で銭湯に出かけたりしてゆっくりする時間もできてきた

色々話もするようになった

こんなことしたいねなんて話もできる余裕もできた

忙しすぎてすれ違い、けんかをすることなんて言うのもしょっちゅうだったのが

話をするようになって、そんなこともあまりなくなった

 

安心

ホッとしてる

そんなはずなのに

 

この心がここにない感じ

心が先を行ってしまう感じ

 

なんなんだろう

 

ゆっくりここにとどまれない感じ

 

あなたの見ているのは流れる映像ですから見たいな感じ」

 

「私はゆっくり味わいたいのに

それはあなたのじゃないよ

それはあんたのじゃないよ」

 

そういわれてる気がする

だから自分のものにしようとしないのかな

自分のものってうけとらないようにしてるのかな

 

受け取ったら

体が冷やっとする感じ

冷たい目で見られる感じ

 

笑われてる感じ

だからさっと取ろうとた手をひっこめる感じ

 

ひっこめたら

フン それでいいんだよ

って言われてる気がする

 

体が硬直してさっきまであった目の前のものも見えなくなる

頭の中もフリーズしてしまって考えられなくなる感じ

 

この冷笑されて

お前なんかが 喜んでいいと思うなよ

お前なんかが 満ち足りた感覚なんて

わかってるだろうな

 

変だけどこんな感覚があるなって 

そこにいたけりゃ わかってるだろうな

 

無言の圧力みたいなのを感じてる」

 

 

これらがHさんのにっちもさっちもいかない状況を作り出している

とどまり続けることなのか

前に進むことなのか

避け続けることなのか

 

それはHさんにしかわからない

 

ただ

彼女の眼は前を向いている

だけど一歩を今出そうとかかとを上げている

 

彼女の葛藤に

私は伴走者として一緒に歩めたらと思う

 

 

 

 

無理に笑わなくていい 偽りの感情

こんばんは

大阪からKOKKOです

線状降水帯の影響で九州から岐阜長野まで大変な被害となっています

本当に心から皆さんのご無事を祈っています。どうか皆さんが安全な場所を確保できることを心から祈っています。

 

 

今日お話しする無理に笑わくていい=偽りの感情について

 

今日の読売新聞の記事にお笑い芸人のジャングルポケット 斎藤慎二さんの

#しんどい君へ#という記事が載っていました

ご本人の小学三年生から高校まで続いた学校に行くことができなかった辛い経験を話されていました。

テレビで見る姿からは想像できませんでした

想像を絶するいじめ

 

ジャングルポケットの斉藤さんには相談できるお兄さんがいて、お兄さんから親には言うなと、兄弟で親に心配をかけてはいけないと思い込んでいたとのことでした

耐えて耐えて耐えてきたけど、もう耐えられないとなったとき、お兄さんに死んだらすべてが終わってしまう。絶対に時間が解決してくれるからと思いとどまったそうです

 

斉藤さんは記事の最後に

「君は変われる、誰かに頼ってほしい」とメッセージを送っています。

「僕も兄も完全に間違っていた、もっと早く親に相談すべきだった」と

 

「無理に笑わなくていい、押し殺さずに誰かに頼って」と

 

人は恐怖を感じた時笑うんですね

 

これは偽りの感情=ラケット感情と呼ばれるものです

 

幼少期に親から関心を持ってもらえなかった子供は

 

寂しいよ お父さんお母さんこっちみてほしいのに

悲しいよ 泣いたり わめいたり

うるさい!って怒られて いやだなあ だけど こっちをむいてくれた

 

なんか違和感を感じませんか?

 

本当に伝えたった気持ちは寂しいよ、そばにいてほしいよ

そんな気持ち

泣いたり わめいたりしたら 

本当は

親に

どうしたの?

泣いてるのはどうして?

そう聞いてほしかったのではないでしょうか

 

でも何かしらの事情で

いつも寂しい→泣く→怒られる→親がこっちを見てくれるかかわりだと感じる

 

子供はどういう手段でもいいから親にみてもらおうとするんですね

 

これが体に染みついてしまうと

大人になってからも

人とのコミュニケーションの中で

 

自分を表現したいと思っても、素直に表現ができなかったりします

コミュニケーションのパターンが

何か相手をいやな気持ちにさせて、自分にネガティブな感情をぶつけさせることがかかわりになっているからです

どんなに相手が自分に対して良い感情を持っているとしても、

そして自分も「相手が自分に対して良い感情を持っていると頭ではわかっていても」

それを決して自分の心の中にとどめようとせず、

「自分はよい感情を持ってもらえる存在であるはずがないと」

子供のころから染みついたコミュニケーションパターンを手放そうとしません

 

このようなコミュニケーションパターンをつづけていたらどうなっていくでしょうか

 

本当は寂しくて寂しくて、人と関わりたいと思っているのに

相手はあなたを大切に思っていても

あなたは決して受け取らない

 

相手は去って行ってしまい、孤独を強めてしまうということになるんです

 

気づいたとき

自分で

気づいたとき

自分が変われるチャンスです

 

まずはそれだけ自分が孤独だった

寂しくて

悲しくて

どうしようもなかったんだ

そのことをじっくり受け止め

 

自分がどうこれから人と関わっていきたいか

 

 

今まで続けてきたコミュニケーションパターンは

どんなことがおこりそうだから

そのコミュニケーションパターンをしてきたのか?

 

そこには幼少期の親とのかかわりのが大きく影響します

きっと

そうしていかなければならなかった理由があるのです

 

でも

あなたはもう大人です

大人のあなたが

小さかった時握りしめた生き方を

変えていくことができるんですよ

 

でも一人ではどうにもできないと感じたら

どうか

誰かを頼ってください

専門家に頼ることも一つの方法です

あなたの話を聞いて

どうしてそうしてきたのか質問に答えていくことで

答えがでてきますよ

 

無理に笑わないでくださいね

 

あなたの心にそっと手をあてて

あなたの心の気持ちを

本当の気持ちを受け取ってあげてくださいね

 

それではまた

心の中を見る鏡 第二弾

先日のブログで登場の奥さんのお話で続きがありまして

 

「私旦那のストレスのはけ口にされてるわ」と

「だから食べてばっかりでこんなに太ってしまった」と

 

でも

そんな話はそうですねだいぶ前から聞いているんですね

 

「あの人親から愛されてないからかわいそうな人なのよ」

「ふんふんて聞いてあげてるの」と

 

それで

お二人がうまくいっていて

お幸せならそれでいいと思います

 

ですがですが

 

奥様は相当ストレスがたまり体重もかなり増え

高血圧のお薬まで飲んでいるというとのこと

また女性に多い手指のこわばりもありということで

かなり体の方にも影響がでているのに

 

奥さんの方はそこを問題視されていないことが気になりました

奥さんは気になるのはご主人のイラつきをどうにかしたい

そのことだけにとらわれているようでした

 

先日お話した投影という仕組みから

 

この反応が奥さんの心の中にあると「いかり」

 

自分の中には「いかり」なんてないんだ!そんなもの私にはない!

そういった風に脳が考えていると

「いかり」は私のものじゃない

「相手のものだ」としてしまいがちです

 

そしてイライラしているのは相手だ

イライラする相手が悪い

そしてそのイライラをぶつけられている私・・・

かわいそうな私

でも耐える私

受け入れる私

いい奥さん

 

で一件落着??

 

あれあれ

「いかり」はどこにいってしまったの?

 

なくなってはいませんよ

圧縮されしまい込まれているだけです

 

「いかり」はまた

同じように顔を出します

そのたびに

圧縮

圧縮

 

もう封じ込められない状況になったとき

体に支障という形で出てくるのです

 

奥さんも自分でわかってきてはいるんです

体に支障が出てきていますから

 

ただ自分を変える勇気がまだない

 

そこなんですね

 

誰も日のことは変えられないんです

 

自分が変わるって決心しないと変わらないんです

 

この奥さんの場合はもうすぐ勇気を出して変わると決められると思います

 

変わるって怖いけど

勇気いるし

努力もいるけど

なりたい自分や

こうありたい関係性に向っていけると思うんですよね

 

だから

変わるって決めるのって自分だけなんです

 

今日はそれをお伝えして終りとさせていただきます

 

ではまた

 

 

今  心のなかにあるものを見る鏡

自然の脅威を感じ

まさに今地球地球規模で真剣に向き合わなければならないステージにきてるのだと感じます。被害を受けた地域の方々の心身の安心が一日も早く得られることを願うばかりです。

 

今日は心の中にあるものと題しまして

 

私たちは日々

目の前の事柄に対して

個々に感じているわけです

景色を見た時

誰かに会ったとき

何かを経験したとき

 

そこで

Aさんは嬉しいと感じ

Bさんは心地悪さを感じたり

Cさんは悲しみを感じたり

 

違うものです

 

同じものを見たり聞いたり感じたりしても

違う感覚

 

同じものなのにどうして????

 

これは

 

見たり聞いたり感じたりしている側に違いがあるということ 

 

 

こんな話を聞きました

あるご夫婦の話です

ご主人の機嫌に奥さんは気を使ってばかりで

ストレスがたまり、食べることで発散してると

 

詳しくお話を伺ってみると

ご主人は自分の意にそぐわないと「くそ くそ くそ」と連呼するそうです

聞いてる方はあまり気分が良くない!奥さんの気持ちよくわかります

奥さんはご主人のイライラを感じてしまって びくびくしてしまうということでした

 

 

この言葉に過剰に反応する人から

「あぁまた言っているな」と受け流す人まで

 

受け取る側の反応は色々ですね

 

奥さんは過剰に反応してしまうとのことでした

 

奥さんの心の中で何が起こっているのでしょうか

 

 

 

 

私自身が先日心を打たれた言葉があります

言葉はうそをつくことがあっても

感覚はうそをつかない

 

本当にそうだなと思います

感覚に〇も✖もありません

ただそう感じているというだけなのです

 

でも私たちの脳は

いい感覚は良しとされ

ネガティブな感覚は悪い こんな感覚は感じたくないと

 

奥さんは自分の中にある怒りを

ご主人の中に見たり「くそ」という言葉で聴いたりすることで

怒りを外側に見出してはいるのですが

 

大切なのは

奥さんの中に「怒り」という感情があるということなのです

怒りだから悪いものと排除せず

怒りがあるということをしっかり受けて止めることが大事です

 

そのうえで

その怒りが

誰に対する怒りなのかということです

 

それは

私たち他人にはわからないことなのです

残念ながら

想像することはできますが

応えは

本人にしかわからないことなのです

 

今日は

このご夫婦の話をしてみましたが

 

私たちだって一日の中で

何回も感情を感じているはずです

 

もし

なんだろう

この感情

何なんだろう

この感覚

 

そう感じた時は

きっと

それは

自分の中にあるものからこそ

わいてくるものなのです

 

花をみて

わぁ素敵と感じることも

暗闇で

ぶるぶる震える感覚だったとしても

特定のタイプの人を前にすると

体が硬直してしまい後ずさりしてしまいそうになっても

 

すべて

あなたの中の感覚なのです

 

もし

あなたが

この感覚があって

生活や

仕事の上で支障を感じているのだとしたら

その感覚を〇や×をつけず

 

そっと胸に手をあてて

なんだろう

何を今

怖がってるの?

ビクビクしてるの?

 

そんな風に感じてみてください

 

すぐに答えは見つからないかもしれませんが

 

灯台元暗し

 

ふとした時に

あれってもしかしてこうなのかもしれない

 

そんなヒントが浮かび上がってくるかもしれません

 

これらの目の前の事象に反応することを投影といいます

 

私たちの中にあるものを

目の前のものにいいことも悪いことも映し出しています

 

自分の心の中を見る鏡

 

自分の心の中を知ることができるかもしれませんね

 

それではまた

 

 

 

 

悩みも 灯台下暗し

悩みも灯台下暗し


おーい
あれはどこだ?


ねー
体操服どこ?


おーい
おーい


いい加減自分でしっかり探せって言うの!
と言いたくなりますよね


かくいう私も
頭の上にメガネをあげてるのに
メガネメガネと探す口ですから


ほんと
灯台下暗しです。


人のお悩みも
ほんとに
悩んでる時は
はぁ
はぁ
もうため息しかでないし
頭はそのことで囚われ
他のことが手につかなかったり
いつもはしないミスをしてしまったり


そんな時は
答え答え
解決策解決策
もう他は見えない
一点凝視の状態


一度
ふと
力を抜いてみる
ちょっと
一点凝視をやめてみる
そもそも
一旦
そのことを考えるのを止めてみる
横に置くというかですね


悩んでいる自分から、
ちょっと離れてみる

 


休憩いただきます!と。


ちょっと一息
ボーっとしてみる


不思議

 

 


別の視点
あれ?もしかして?
そんなのが湧いてきたりするんですよね


喧嘩の時を思い出してみてください
お互いヒートアップして
論点がわからなくなったり
言い合いになったり


あとあと考えたら
あれ?
なに話し合いたかったんだ?


うん?
こういう伝え方もあったのに

もしかして相手はこう考えてたのかな・・・とか


後々になったら
考えが湧いてくることってありますよね


だから


お悩みの時こそ、
お悩みから逃げるのではなく
一息つく
一旦そこから、離れてみる
それも一つの方法かなと

 

でも

どうしても囚われてにっちもさっちもいかない

そんな時は

専門家の助けを得ることも一つです。

まるで、自分が一歩引いたかの視点

そんな一点凝視の視点からではない

視点からみて、問題解決への道が見えてくるかと思いますよ。

 


今日の雨の大阪から
kokkoでした。


ではまた