FOR YOURSELF & YOUR FUTURE

日々のちょっとしたこと心のお話

今 ここから

こんにちは、5月も半ばをすぎましたね

太陽の塔が緑に点灯された大阪からKOKKOです

 

緑になってなんだかホッとした

涙がこぼれたというご夫人のTVのインタビューへの言葉に

日本中が今みんな同じ方向に向かって頑張っているんだと

しみじみ感じたこのごろです

 

今日は映画のお話とも考えたのですがぴったりのものが見つからず

私の遍歴になりますが

こちらを交えて

今ここからできることそんなことを書きたいと思います

 

私は昔

そうですね自分の心の問題に気づき

リトリーブサイコセラピーに出会うまで50年

半世紀  ( ̄□ ̄|||)

差し伸べられた手を振り払って生きていました

家族からの言葉も

友人からの言葉も

まわりの人から差し伸べられる手を

 

皆さんはこんなことないですか

 

私はいつも

心から自分のことを思っていた人たちに対して

私はいつも心を閉ざしていました

パートナーの優しい気持ちにどうして

YESと答えられなかったんだろう

一緒に!つながろうとしてくれた友人たちに

YES!と答えられなかったのだろう

 

心の中にふっと沸いていたんですね‥その頃は

思い通りになるもんか

どうせ口先だけでしょう

 

どうしてなんでしょう

どうして優しさをそのまま受け取らなかったのか

どうして目の前の現実を歪曲してしまうのでしょうか

 

そのままうけとる

歪曲せずそのまま受け取る

選んでしまっていたのでしょうか

 

そのまま受け取ることより

受け取らない

歪曲するということを選んだ理由があるんですね

 

原家族とのつながり方が今の人とのつながり方のベースとなっているからなんです

 

原家族の中でどのように過ごしてきたのか

家族同士の交わす言葉が否定的なものであること 肯定的なものが少ないかほぼない

人にものを頼むときに、

ちょっと手が離せないからお願いしていいかなといえばいいところを

→ こっちがこんなに忙しくしてるのがわからないのか?ボケっとするな

  手伝わない奴は出ていけ 

 

好きなことをしていたりすると

→ 怖い目でにらんだり、いかにも自分は怒っているとを汲み取れと言わんばかりに大きな物音で脅すようなことをしたり

 

そんな中で

年端も行かない子供は精一杯頭の中で考えます。体は恐怖に固まり

どうにか今の状況を悪化させないように

どうにか今の状況を変えるためにはと 

頭で考えようとしますが

大人のように状況を整理して何が問題かを考える余裕などなく

言われるがまま

体を強直させ動かない

はたまた

180度ひっくり返しもっと大人が驚くこと、困ることをしたりして矛先をかえようとします

 

私の場合はとにかく

頭をフリーズさせ、何も考えないようになってしまいました

ただ今目の前にいる祖母の機嫌が収まるまで、耐えよう耐えよう

ただ今目の前にいる父親の言い分をただただ聞くふりをしなければ耐えよう耐えよう

 

そうしていたら祖母は機嫌こそ直りませんが

そうしていたら父も機嫌こそ直りませんが

最悪な状況(放り出される、暴力)からは免れることを覚えてしまったからです

 

相手の気持ちを汲むことが自分の身を守る手段だったのです

自分の命を守るためには

自分の気持ちは封印して

相手の気持ちを汲まなければならない

 

それが50年の私の人とのつながりでした

人の気持ちを汲んでいれば自分の身を守れる

また

大人は子供を道具として扱う

という認知のゆがみもあったので

相手から差し伸べられた手を

どうせ手っ取り早く自分のためにそうしてるだけでしょう

そんな手にのるもんか

 

そんな50年でしたね

 だからこそ

大切にしたものがあります

それは子供でした

自分のような思いはさせないと誓っていました

だけど

その思いが強すぎて

これはあなたの為なのと思いを押し付けたり

その思いが強すぎて

その手を振りほどく子供に強い怒りを感じてしまったり

その思いが強すぎて

子供が悲しむことは自分が至らないせいだと

自分を責めたり

 

大人になってから

このように人から差し伸べられた手を振りほどいていたら

どうなってしまうと思いますか?

 

差し伸べても輪に入ろうとしない私に友人たちは、遠巻きに見守るしかないと距離を置くようになりました

 

人の気持ちを汲み取る生き方を続けてきた50年に、自分の人生なのには生きても生きても自分の人生の虚しさに心身ともに擦り切れかけていました

 

このままじゃいけないとリトリーブサイコセラピーに出会い

私は妄想の中で半死状態で生き続けることから

現実の中で生きること選びました

 

現実の生活の中で

人とのつながりで手を差し伸べられて

もちろん

本当にこの手を握っていいのかと

不安がよぎります

そうだね

いままで怖かったんだものねと

自分に声をかけるようにしました

 

どっちを選んでもいいんだよ

 

私は手を振り払うことをやめ

その手を握ることを決めました

 

自分の湧きあがるものを無視せず

ただただ

うなずいてあげるようにしました

 

問題は自分が引っ張り出していること

そして

人とのつながりの中で

問題を持つことで

つながりを保ってきて人にとって

人とのつながりを保つこと=問題を持つことが

自然の流れになりがちです

 

そこに気づけたことが私にとっては大きな収穫となりました

 

問題を解決したいのに

問題を解決してしまったら人とのつながりが保てなくなる

 

そんな歪んだ認知を少しづつ

現実の中で

素直に人から差し伸べられたものを歪ませずに受け取る

 

受け入れるかどうかは自分で受け取ってから決めたらいいのです

 

自分で決めることも大事です

 

何があっても自分で決めたこと

 

これが大事なのです

 

幼少時に支配を受けて育ってきた私たちにとっては

支配は嫌だった、自分の意見を聞いてもらえなったなどありますが

自分で考え、決め、その責任をとるということから逃れられてきたのです

 

そのメリットがあったことをまざまざとつけつけられた私は

50年間私はこの甘い蜜を享受してきたんだと

 

受け入れなければ自分の命を守れなかったが

受け入れたことで享受してきたものにしがみついている現実

 

今はその甘い蜜にしがみつく生き方を続けたいとは思いません

なぜなら自分の中に今までの悲しみや怒り、絶望、自分の影

すべてを受け止めるができたからです。

 

どん底だったのかもしれません

ゼロ

いや

下の下

そこまで行ったかもしれませんが

あとは少しづつ階段を上がる

そんな日々を送れていると感じています

 

今日はそんなこんなリトリーブに出会うまでの

私の遍歴でした

 

リトリーブサイコセラピーに出会うこと

それは単に知識を与えられるだけのものではありません

自分に返す

自分で変わる

その道のりを見守ってくれている場所だったと思います

 

人と恐怖でつながるのではなく

人と喜びでつながる

 

この言葉ははじめて

リトリーブのセラピストからかけられた言葉でした

 

今は本当にその言葉の意味がわかる気がします

 

一人でも

少しでも

残された人生を

この世に生まれてきて

こんないいことがあるのだと感じることができるようになれば

 

もし

いま

自分が生きづらさを感じているのなら

そんな自分に

頷いてあげてください

否定することでもなく

肯定することでもなく

 

ただ

ただ

じっくり

 

もしも

どうしようもなくなってしまったときは

専門のセラピストに話を聞いてもらうことも一つの方法です

訓練を受けたセラピストの質問に答えていくことで

自分の中でフリーズしてしまったものが

少しづつ解けていくことがあります。

これはあなたの力で、セラピストはそのサポートです。

 

大丈夫

問題は解決しようとする気持ち

問題に気づこうとする気持ちがあれば

解決できますよ。

 

ではまた