FOR YOURSELF & YOUR FUTURE

日々のちょっとしたこと心のお話

行動する

こんにちは

久々のブログ更新です

 

コロナ

なかなか収まりませんね

我が家の大学1年生も

思い描いていた生活が送れず

しょんぼり気味です

 

母は何もしてあげられずですが

いつでも話は聞くよ

そんなメッセージを送っています

 

 

さてさて

行動する

とはいうものの

今のようなコロナ禍において

私たちはどう動いていけばいいんだろうと

 

  • 気分が落ち込む
  • やる気が出ない
  • イライラする
  • 何か始めようとするがどうせできないしと思ってしまう
  • やり始めても続かない
  • 飽き性
  • 人の目が気になる
  • 人のことがうらやましく感じてしまう
  • 自分はダメだと思ってしまう

 

当てはまるものはありましたか

 

どんな理由があったとしても

行動せずにいたら

 

 

  • 現状は変わらない
  • 不満をためてしまう
  • 不満を何か別のものにぶつけてしまったり
  • 不満をどう解消していいかわからずうちにこもってしまう

 

あまりいいことはないような気がします

 

 

しかし往々にして現状維持を選ぶのはなぜか

 

それはその人にとってそれが

一番の快

一番の善

と感じているからだと思います

 

行動には責任が伴います

子供のころの自転車練習

補助輪を外し

ペダルを足で踏み

前へ

ものすごく怖いと思いました

だけど

乗りたい

だけど怖い

このジレンマの中

ペダルを踏みます

あっ 行けた!と思ったら

バランスを崩し

がっちゃーん

転んで膝小僧をすりむいたり

 

でもしばらくべそをかいて

もう一回

もう一回

そうやっているうちに

乗れるように

そんな経験ありませんか

 

大人になると

大失敗ということを避けようとしてしまいます

やってみたいけどやっぱりやめておこうと

やらなかったことありますよね

 

リーダー役を振られたけど

やってみたい気もしたけど

失敗したらどうしようと

そう思ってるうちに他の人が役をひきうけ

生き生きとしてる姿や

まわりがサポートをする姿を見て

やっぱりやればよかったと

 

行動には

痛みも伴います

責任も伴います

 

失敗するかもしれないと怖さも感じることもあるでしょう

時には責任を追及されることもあるかもしれません

 

だけれども

それは

あなた自身を責めているわけではなく

あなたのした行動を追求しているのです

だとしたら

あなたができることは

行動を振り返り

どこがどう改善の余地があるのか

そして必要ならばきちんと謝ることも必要でしょう

やってみるのか、それとも諦めてやめるのか ジレンマです

やるなら改善してやってみる

結果をまた検証してみる

ジレンマを乗り越えるこれこそが成長ではないかと思います

 

大人になっても

子供の時の

あの自転車に乗り始めた頃と同じなのです

 

だけど

どうしてもストップがかかってしまう理由には

あなたがどのように幼少時育てられてきたか

どのような言葉をかけられてきたかということが

今のあなたの行動にストップをかけてしまっている可能性が高いです

 

自転車で転んだ時

”痛かったね 大丈夫?"

"ふらついて怖かったね”

頑張りを見守ってくれ話をじっと聞いてくれたりする人の温かさ

 

”ちゃんと前見なさい”

”ほかの子はもう乗れてるのになんであんたは乗れないの”

”ほんとに何やってもだめだね”

”それくらいのことで泣かない”

頑張ってた中で、そのこと言葉に悲しさや辛さ孤独感

 

こんな経験を積み重ねていく中で

一方は

失敗しても私は大丈夫とまたチャレンジしていけ

 

一方は

頑張っても失敗したらひどい言葉を浴びせられる

失敗しただけでも悲しいのにそれを追い打ちをかけるように責められる

それならもうチャレンジなんかしたりしない

もう絶対欲をだしてなにかしようなんて思わないぞと

 

 

あなたがもし自分の中に”自身がないな” ”どうせ私なんて”

そんな風に感じてしまうことがあれば

もしかして幼少時代の家族関係の中で傷ついているのかもしれません

幼少時代を生きなおすことはできませんが、

あなたの傷ついた心をいやすことはできます。

それはその頃の思いを言葉にするということです

ノートに書いてみてもいいです

うまく書けなくても大丈夫です

  • お母さんはいつもお姉ちゃんばっかりほめて私は悲しかった
  • お父さんは大声でいつも怒鳴って怖かった
  • おばあちゃんはいつもむすっとしていて体が固まってしまった
  • 家が嫌いだったからいつも○○おばさんと話してホッとした
  • 大好きだったお人形をぎゅっとしたらホッとした

 

今日は動く題して

お話してきましたが

無理に動くのではなく

動けない理由は何かを探っていくことで

だから私動けなかったんだなとわかることで

また前に進めるようになると思います

そうこれこそ行動です

 あなたは自分で行動を始めているのですよ

焦らず

自分で自分を育てなおしていくつもりで

こつこつ

 

これこそがコロナ禍で

未曽有の不安がはびこる中で

こつこつ

この行動が大切なのだと思います

 

それではまた

 

 

 

 

ワイワイよりボッチがいい心理

こんにちはkokkoです。

 

お盆ですね

 

コロナの影響もあり、今年は例年と違う様子ですね

 

しかーし

 

うちの家

嫁ぎ先は

なにがなんでも集まる

 

こんな時に

 

若かりし頃は

はいはいと従っていましたが

 

今年という今年はあかんヤローと

火を吹く嫁

 

来年ジジババ死ぬかも知れんからとか

理由にされ

 

この盆暮れ正月問題はまたにして

 

今回私はコロナだから、密を避けたいと

集まりには出ず、夕食、お泊まり、こんな時に

 

単独お墓参りをしてきました。

 

さてさて今日は

集まりが苦手

出来れば二人くらいがいい

そんな心理について

 

私も未だに大勢だとちょっと緊張はありますよ。

でも、昔は

針のむしろ状態

 

早く帰りたいよ〜半ベソ

 

何が私の心の中で起きてたんでしょう。

 

集団にいると

なんだか

感じてしまうのが嫌だったんですね

 

私 お門違いかも

私 場違いかも

私 似つかわしくないかも

私 消えた方がいいかも

 

こんな感覚ありませんか?

 

自分がまわりから外れてれ感覚

自分がまわりより劣っている感覚

 

これってなんなんでしょうね

 

こんな感覚もってると

本当に集まりが怖い

一挙手一投足

すべてが間違いなんではと

笑われる

バカにされた感覚まで

 

もう人に関わるのが怖くて

意見言うなんてとんでもない

 

自分の言いたいこと

自分のやりたいこと

笑われてしまう

見下されちゃう

 

ぐっと

飲み込んでしまいますね

言うもんか

やるもんか

動くもんか

なにもするもんか

 

すると

体は正直

我慢我慢我慢が溜まって溜まって

ある日許容範囲をこえ

溢れ出すんです

 

病にひっぱられるのか

もしくは、かんじないように

何かに依存したり

はたまた切れたり

 

そんな貴方をまわりは

どうしちゃったの?????

 

あなたは思ってる

あなたは下から見上げて

こう言うんです

私はずっと我慢我慢我慢してきたんだーって

 

まわりは

へっ?

どどど、どうしたん?って

 

だってまわりは

びっくりですよ‼️

しゃべるな

動くな

何もするな!なんて

一言も言ってないのにって

 

ですよね

誰も言ってない

 

だとしたら

 

 

 

 

自分で作り出してませんか?って話です

 

なぜこんなことが、起きるかと言うと

 

これが貴方にとって都合がいいからなんです

 

都合がいい?

なんで?

集団からはみ出しされる感覚が都合いい?

 

わけわからんわーですね

 

 

しかーし

人は無意識に快を求める生き物です

 

はみ出しが快感なんです

 

はみ出さず、仲間でいる方が不快なんです

 

めちゃくちゃ矛盾だらけなんですが、

これが貴方の本当のこころのうちに

あるものなんです。

 

はみ出し感があれば

言わなくていいから

言うこと考えなくていいし

言うことで責められる感覚も感じなくていい

責められる感覚なければ、安心していられる

 

そうなんです

はみ出し感覚は、いやだけど

他のもっと嫌な感覚を堰き止めてくれる

防御なんです

 

だとしたら

自分を解放して

どんどん人と関わっていこう!なんて

ポジティブに行動する

はみ出し感覚を

外して、集団に入っていくことってできますか?

 

そんなことしたら

安心できない

責められる

あわわわ状態に

 

だとしたら、

この問題の肝はなんでしょう

 

そう!

 

そうなんです!

 

あなたの問題のネックになっている

あなたが自分でひっぱりだしてくる感覚

はみ出し感覚がどこからきているのかを

見ていくことが大切です。

 

人間関係を築くベースは

親子関係がベースと言われています

 

なぜなら、私たちの最初の人間関係ですからね

まずお母さんやお父さん

そして、兄弟や姉妹、親族

そして、ご近所

保育園の先生

お友達と、広がっていきます

 

では、あなたの幼少期を見ていきましょう

例えば

お母さんがいつも見てくれてる

あなたの反応に答えてくれる

 

そんな関係があると

赤ちゃんのあなたはうれしくなり

お母さんに微笑み

また、お母さんも微笑んでくれる

あーあーと声を出せば

お母さんも

あーあーと真似て

〇〇ちゃん、お話してくれるのね

お母さんも楽しいわ

 

そんな、関係がスタートします

 

では、

赤ちゃんが微笑んでも

お母さんは微笑んでももくれない

それどころか、目も合わせてくれない

あーあーと、声を出しても

痺れを切らし声を上げて泣いても

来てくれない

赤ちゃんはもう、微笑むことも

声を出すことも諦めてしまうでしょう

 

赤ちゃんが成長し、

まわりのことが、見え始めます

 

自分の足元の小石に気づき

手に取ってみる

 

子供ってなんでも手にとっては

口にしたりして

 

そんな時

〇〇ちゃん

何か見つけたんだね

お母さんに見せて

わあ、綺麗な石だね

丸い形してるね

 

お母さんが自分の手にしたものに興味を

持ってくれてる

なんだか、うれしいな

自分で行動するって、いいなあ

 

はたまた

小石を拾った子供に

さわらないよ

そんなものやめときなさい

子供は自分の行動を制しされた

はたまた見てもくれない

なんだか 悲しくなって

自分で行動するのは いいことじゃないと

そう思ってしまったり

 

子供はこんなふうに

親からどんな言葉をかけられて

どんな風に大切にされたか

どんな風に扱われたか

 

悲しいかな

大人になっても

そのベースを引きずって生きづらさを感じている人が本当に多いです

 

でもね

事実です

過去にそんなことがあったことは

本当に残念なことです。

 

悲しかった気持ちを

ずっとずっと

心の奥にしまいこんで生きてこられたんですよね

 

家族という集団で

生きながらえるためには

自分を出すことは

傷つくこと

そう学習してしまったんですね

 

自分を出さないで

どんなに見下されても

どんなに無価値感に苛まれても

どんなに逃げ出したくなっても

 

一人ぼっちになるより

我慢できたんです

 

一人ぼっちになってしまうのは

子供にとっては死以外のなんでもないから

 

だけどね

生きづらい

だとしたら

学び直せばいいんです

 

心理を学ぶって

生きづらさの訳を知って

生きやすくしていく

 

そうやって自分を

自分で育て直していけばいいんじゃないかと

 

何十年もかかえてきた生きづらさ

でも同じだけ

自分なりのごまかしの生きやすさも

身に付けてしまってますからね

 

これからをどう生きたいか

ごまかしながら生きていくか

自分を育て直していくか

 

ですね

 

 

 

 

 

 

私のタンス

おはようございます

土曜日の朝

大阪からKOKKOです

 

今日も曇り空ですが

何とか雨は降らずです

今のうちにウォーキング行けるように

朝家事済ませてしまおうと思います

 

 

書き記しておきたくてパソコンの前に

 

サワコの朝

美保純さんが出てました

同年代です

いつも自由奔放なイメージの彼女がどこかで

うらやましかったですね

 

今も素敵な女優さんでいて

やっぱり

残っていく女優さんだなんと感じました

 

それは何か

 

唯一無二な存在だからでしょうか

 

唯一無二

 

この世に同じ人はいないのだから

当り前なのに

 

なぜかみんな同じようになっていってしまう

同じだけどおなじじゃいやという気持ちを隠し持っている

 

そんな感じでしょうか

 

なんで隠し持たないといけないのでしょうかね

 

人は人と関わるとき

自分いうタンスを空っぽにして

「はいはい あなたのいうこと全部いれていきますよ」

というひともいれば

「もうパンパンです 入りません」

という人もいる

 

人が生きてきてるんですから それなりに持ち物もあるだろうに

全部中身を取り出して

相手の為に

スペースを空けておこうという人がいる

 

相手にとっては気持ちいいですよね

「この人は心が広い」

とは

「子に人はなんでも言うことを聞いてくれる」

とか

 

受け入れる方も

「私 すごい みんなが幸せな顔をしてくれる」

「みんな私のところにきて色々話をしてくれる」

 

さてさて

この生き方どう思いますか?

 

好きでやってるならいいんでしょうけど

 

その人のタンスは

いろんな人のいろんなものでいっぱいになってやしませんか

 

そのうち収納しきれず

つぎ来てくれる人の為に

収納場所を作っておかなきゃいけないから

新しいタンス

新しいスペースを作るべく

限られた自分の中のスペースを

相手の為に

相手の為に

せっせと

せっせと

自分の積み上げてきたものを

自分の中から

放り出して

相手の為に

スペースを作る

 

 

・・・・・・なんのためにしているんだろう

 

 

タンスに収められたものは他人のもの

 

収納場所として置いてあるだけ

他人がおいていったものなのに

自分は後生大事に収納しておいてるんですね

 

時に

もうきりがないと

他人の持ち物の整理なんかも始めたりして

 

毎日が

他人の為

 

 

何でそこまで?って思いますね

 

自分のものは取っ散らかったままなんですよ

風呂敷に丸めて一切合切どっかにポンと置いたままで

 

そこまでして

相手の為に自分を献上している

 

それって何のためにしているのか

 

 

 

 

そうやっていることが自分にメリットが感じられるから

やっているんですよね

嫌だけど

嫌だけど

メリットがあるから

 

これは

幼少期の家族関係からきているのですね

やはり

 

 

そうしていれば

自分をなくして

相手に献上していれば

居場所がもらえた

優しくしてもらえた

声をかけてもらえた

振り向いてもらえた

 

 

あなたのタンスの中には

何が入ってますか?

 

 

 

生きやすい 

こんばんはKOKKOです

 

きょうは2本目

生きやすい

 どうしたら生きやすくなるんだろうと

 

自分の心のベクトルと頭のベクトルが同じ方向を向いていたら生きやすいんじゃないかと

 

 

こうしたいのにこうできないから人って苦しんでいるんですよね

 

自分はこんなはずじゃなった

(こうなってほしかった)

 

自分は言えなかった

(こう言いたかった)

 

年齢を重ねれば重ねる程

いい意味でも悪い意味でも物分かりがよいというか

収めてしまう気がします

 

何を収めるといえば

本当の気持ちですよね

 

どんなに年を重ねても

気持ちというのはありますよね

 

何十年も会社勤めをしてきたお父さんにもお父さんの気持ち

 

専業主婦で家族の為にすべてを注ぎ込んできたお母さんの気持ち

 

家系を守ってきたおじいさんおばあさんの気持ち

 

それぞれにそれぞれの気持ちがあると思うのです

 

その中でそれぞれが選択し続けてきたんですよね

 

だけどね

 

次の世代の選択は次の世代に渡してほしいと思うし

 

次の世代は次の世代で自分の選択をしてほしいと思うのです

 

そこに夫婦の関係性からくるものや

親子の関係性から来るものがからみだすから問題が起こってくるのです

 

夫婦が日頃から会話をしてお互いの意見に耳を傾け

お互いを理解しようとする姿勢があったり

 

親子でもおなじですよね

会話と理解

 

どうしたの?

調子はどう?

なんかあった?

 

たわいない会話からでいいのです

はじめてみませんか

 

 

 

ましな方 それでいい?

こんばんは

大阪からKOKKOです

リトリーブサイコセラピーという心理療法を使って心の問題解決のサポートをしています。

じめじめしますね

紫陽花の季節でもあります

緑もたくさん水分を吸収し青々としてきました

 

じめじめよりはさらっとしとほしいです

そんな今日この頃

 

ましな方がお好きと題しまして

 

私たちは日々

何百回 何千回と決断を迫られてると言いますが

 

その中で

何回

本当に

心の底からの好き嫌いで選べるでしょうか?

 

いわゆる本音というものですよね

 

本音で物事を判断できるか

 

 

・・・・・・

 

こんな経験はないですか

  • 本音ではなく建前で物事を判断してしまう
  • ここには本当の問題が
  • この問題をどう乗り越えていくか

 

きょうはこれらのことを書いてみたいと思います

 

意見を求められるのが苦手

言われたことはきちんとできる

人と関わるのは好きだがとても疲れる

一人が好き

人の機嫌が気になる

人の顔色ばかり窺い話の内容が頭に入らないことがある

自分はダメな人間だと思うことがよくある

 

こは当てはまるところはありましたか

 

上記にすべてに共通するものがあります

何かわかりますか?

それは

自分

すべて自分が存在しません

すべてが他の人なのです

 

自分の生活 

自分の時間が

他の人に費やされていく

 

だから

自分の気持ちを確かめたり振り返ったりしないので

自分が置いてきぼり状態

 

徒労にしかならないのです

 

自分の時間

自分の生活が

他人の為に使われる

 

これってどう感じますか?

 

ゲゲゲ

 

そんなつもりはないのに・・・・ですよね

 

だけど

誰に頼まれたわけでもなく

そういう行動をしているのは紛れもなく自分なんですよね

 

その行動を決めているベースになっているのが

ましな方がお好き

だからです

 

意見を言って非難されるより 黙っていて人に従っていたほうがまし

自分で責任取るくらいなら 自分で考えずに 人に言われたことをやっていたほうがまし

自分の感情を表現したら嫌われるの嫌だ~人前では!(^^)!ふるまっていたほうがまし

気を使うくらいなら 寂しいけど 一人の方がましだな

人に嫌な目を注がれるくらいなら、人の機嫌を気にしていたほうがまし

 

こんな風に

いつも

本音を隠して、ましの仮面で生き続けで行くこと 想像してみてください

 

別にそれでいいんだ と選ぶこともできます

 

ですが

もしも、そんなことをしていても 誰を喜ばすの?誰のための人生なの?

これって人生なのに私の気持ちはどこに置いてきたの?

何のためにこんなことやってるの?

やりつづけていったらなにか得られるの?

 

そうなんです

これらの行動は

自分で妄想の世界のましを選んでいるのです

 

リアルの世界ではどうでしょうか?

本当にあなたはどうしたいのでしょうか?

 

この問題のカギは

あなたの未完了の感情が引き起こす妄想による悪循環によるものです

 

未完了の感情とは

あなたが幼い時にどのような家庭環境でそだてられたかということがヒントになります

私たちの物事のとらえ方というのは

大体6歳までに作られていくと言われています

  • その家ではどのような言葉が飛び交っていたか
  • その家では人とどのようなかかわり方をしていたか

 

本音が言えない本音がわからないというお困りをお持ちの方の多くは

  • ご両親が支配的で意見を聞いてもらえなかった
  • ご両親がそもそも不仲であった
  • お互いを罵倒するような言葉を浴びせていた
  • 子供をほめることがなかった
  • 温かいつながりがなかった
  • 両親が心理的問題をかかえていた

 

いろいろなことが考えられますが

子供が子供らしく子供時代を生きられなったということが原因と考えられます

 

  • ただそこに生まれてきてくれてみんなが喜んでいる
  • お父さんもお母さんもお互いを慈しみあっている
  • 何があっても自分は守られている

 

こどもにとって

一番大切なものをもらえなかった悲しみは計り知れません

 

その悲しみが本当の心の奥底の本音かもしれませんね

 

  • 本音はどうなんだろう
  • 私はどうしたかったのだろう
  • 私は今どうしたいのだろう
  • 私はこれからどうしたいのだろう

 

私を大事にするということは

私をこわさから守ることよりも

私の気持ちにまず寄り添うことから始めてませんか

 

それではまた

ミセン ー未生ー死んでもいない 生きてもいない

雨の大阪から

こんにちはKOKKOです

 

雨続き

日本各所で水かさが増え河川への影響が心配されますね

お近くの方は早め早めの行動をとってくださいね

皆さんの安全をお祈りしています

 

さて

久しぶりにお気に入りの音楽を聴いていましたら

昔よく聞いていた曲に目が留まりました

 

2016年韓国で大ヒットした「未生-ミセン」の劇中歌です

 

久しぶりに聞いてまた何度も聞き入っているこの頃です

このブログを読んでくださっている中に「観たよ」という方いますか?

 

死んでもいない

生きてもいない石

 

韓国の囲碁用語で

どんな困難でもあきらめなければ必ずチャンスが来るというメッセージが込められているそうです

 

囲碁というのは、碁盤という限られたステージの上で”確立した自分の姿勢が必要で、相手の打ち方を意識せず、自分はこう打つという哲学や態度が大切なのだそうです。

また勝負の後、両者は復碁という、敗者は自分が負けた理由を、勝者は買ったとしてももしかしてそれが相手の失敗で偶然得られたものではないかと、もう一度振り返らなければならないわけです。その棋士たちの真剣さに感銘を受けた・・・とミセンの著者のユン・テホ氏はインタビューに答えていました

 

主人公チャングレは幼い時から棋院に研究生として入り失意の中で碁の世界を去ります

高卒の彼が総合商社のインターンに選ばれるなんてましてや正社員に選ばれるなんてことはないのが現実の韓国社会なのですが、そんな社会というものを全く真っ白な状態の彼から観た韓国の現実をドラマの中で描かれているからこそ、私たちが当たり前すぎて疑問にも思わなくなってしまったことにこそ、人間の生きる本質がかくれているのではないかと

 

ほとんどの人は評価を常に気にして生きている。それは日本も韓国も同じですね。

いい学校に入りいい会社に入りいい車に乗り気に入った家に住む。流れるように生きていく中で大切なのことは何なのか

人よりも上であることなのか

いや違いますね

本当にそれが幸せなのか

 

よりよく生きていくという人間の本能は

自分らしく生きることではないでしょうか

 

では自分らしく生きていくということは果たして

どう生きていくことなのか

 

それは自分に聞くしかないですね

誰かの生き方を真似してみても

それはしょせんその人の生き方であって

自分の生き方ではありませんよね

 

しかしながらネットで流れてくる「人がうらやましいと思う生き方」を日々浴びるように目にしてしまう今、他人の生き方を追いかける生き方になりがちではないでしょうか

 

あなたは

死んだ石でしょうか

生きた石でしょうか

生きてもいないいない石でしょうか

 

私は

生きていない石の時間を長く過ごしてきました

なぜその生きていない状態を選んでいたのかは

私にしかわからないことでした

だけど

私は誰かに教えてもらおうとしていました。それはしょせん誰かが考えた生き方にすぎないのに

 

死んでもいないし生きてもいない

だけど

死にたいわけじゃない

生きたい

自分らしく生きたい

そう思う気持ちが秘められているからこそ

葛藤していたんですよね

 

主人公のチャングレももたくさん傷つきながら

それでももがいて

もがいて

生きていきます

他の出演者もそれぞれがもがいてもがいて

生きていきます

 

迷うこともある

迷っている自分

怖がっている自分

ダメだと感じている自分

もう傷つきたくないと

安全を選ぼうとしている自分

もう逃げたいと思っている自分

誰も信じないと思っている自分

すべての人は自分を否定すると思っている自分

こんなにわかってほしいと思っている自分

大切な人を喜ばせたいと思っている自分

ちっぽけだと思う自分

何にもできない自分はくそだと思う自分

相手をうらやましがり憎む自分

米粒の自分

ひとから踏みにじられそうな自分

誰にも認知されないくらいの存在だと思っている自分

 

全部

自分が思っている自分なんだ

 

何に迷ってる?

どうして迷ってる?

何を怖がってる?

どうして怖がってる?

何に傷ついたの?

どこから逃げたいの?

誰を信じたかったの?

誰が否定したの?

誰にわかってわかってほしかったの?

誰を喜ばせたかったの?

何がちっぽけなの?

何ができないからくそなの?

何が憎たらしいほど何が欲しくてうらやましかったの?

米粒って何?どこが米粒なの?

誰に踏みつぶされそうなの?

誰に認めてほしかったの?

 

ここからスタートなんだよ

リスタートなんだよ

 

自分を取り戻す

それがリトリーブ

絶対あきらめない

自分を

大きなことを夢見なくてもいい

自分を大切にしよう

それだけは

あきらめないで

 

頭では「変わりたい」その心は

こんばんは

日曜日の夜

大阪からKOKKOです

リトリーブサイコセラピーという心理療法を使って、心のお困りごとをサポートする

お仕事をしております

 

大阪でも一日の感染者が増え 今日黄色信号となりました

大阪の北の中心梅田に仕事に出た家族の話によるとかなりの人出だったそうです

 

他人事ではないですよね

同じことがブラジルやアフリカ インド 世界全体で起こってるんですから

同じ悩みを抱える人が世界にいるんだと痛感します

一人一人が自分の問題ととらえてこの難局を乗り越えていきたいですね

 

さてさて

今日は

頭で「私は変わりたいの」の本音

そう

そのこころは

「変わりたくないの・・・だって○○になりそうだから」

 

ある女性のクライエントさん

しっかりと「変わりたいのです」「今の自分が嫌なのです」

 

同じ悩みを持ってこられるクライアントさんは正直多いです

 

今の自分に不満を持っている

今の自分に満足できない

今の自分にダメ出しをする

 

自己否定

 

 

だから変わりたいと

 

お話を聞いていくと

実は心から自分のことをNGというのではなく

実は自分ではNGと思っていないのに

他人が自分のことをNGだと思っているから

自分はNGなんだと感じている

だから他人から見てNGじゃない自分になりたい

 

そういうことなのですね

 

自分で自分はNGではない

しかし

他人が自分をNGとしているから 自分はNGなんだと

 

これは

どうお感じになりますか?

 

①わかるわかるその気持ちという方も。

 私も人からNGつけられるなんて耐えられない

 

②えーなんで自分でOKならいいじゃないという方も

 

感じ方は人それぞれですよね

 

でもですね

①人の目を気にして生きている方は

 自然に次のような生き方を選びがちです

 人の目を気にしていれば 行動や言動に気を付け人の気に障ることをしないので

 人から傷つけられたり、批判されたり、非難されたりすることがない

 

 人の目を気にして 人の言動に従ったりすることが多いので、考える必要がない

 他人の意見に従っていれば、何か起きても責任も取る必要がない

 

こういうことが実はあるんですね

これらがあれば人の目を気にしてNGになることを避けることを選んでしまうというのもわかる気がしますね

 

でも

この生き方をずっと続けますか

 

他人からのNGって一体どんなものなのでしょう

他人がはっきりNGといってくれたらわかりやすいですが

大抵の人は口には出しませんよね

こういう風に思っているのではないかという妄想であることがほとんどですが

妄想があたかも真実であるかのように信じ

自分の人生を妄想で創り出した他人からのNGによって行動を止め続けるって

 それでいいんですか?と自分に問いかけてみてください

 

自分で考えて、こっちだ、と選び取り、

あぁよかったと思ったり

もし躓いたとしても、よし今度はと再度考えて 選び取り

あぁよかった とその積み重ねが

自分で少しづつ作っていく自分の人生なのではないでしょうか

 

他人からのNGを妄想して作っていく人生が自分の人生なんでしょうか

 

そこで一言つぶやいてみて下さい

「私が自分の人生を歩んでも怖いことは起こらない」

そう呟いてみて

やはり心の中にふつふつとわきあがるものがあるのだとしたら

それがおなたの足を止めているものなのかもしれません

 

リトリーブサイコセラピーでは

丁寧に幼少期の家族関係をしつもんしながら聞いていきます

なぜならばそこに禁止令がすりこまれているからです

「自分の人生をいきてはならない」

もしそんな禁止令にあなたが囚われているとしたら

すべての事柄があなたが進もうとするたび邪魔をすることになります

自分で決めて進もうとしても

「そんなことお前にできるはずがない」

自分で意見を言おうとしても

「何を意味のないことを言っているんだ」

自分で決めようとすると

「失敗するに決まっている、その責任をお前は取れるのか」

頑張っても頑張っても封じ込められる感覚です

 

頭で変わりたいと思っても、心は禁止令によって

縛り付けられているというわけです。

 

もしあなたがこのような感覚で生きづらさを感じているのなら

専門家を頼ってみるのも一つの方法です

 

熟練したセラピストの質問に答えていくことで

本当のあなたの心の声

本当のあなたの思いに

気づいてもらうこと

それがまず一歩だと思います

 

生きづらさを手放して

あなたの人生をつくっていってほしいと強く願います。